「自分らしく、誇りを持てるバッグを提供したい」FUMIKODAクリエイティブディレクター 幸田フミ インタビュー
長年FUMIKODAのバッグをご愛用くださっている有志の皆さまによって、FUMIKODAのファンクラブ「FUMIBLUE」が誕生しました。
その記念すべき第1回サロンには、FUMIBLUEの会員の皆さまが集まり、事務局長・及川美紀さんがクリエイティブディレクター・幸田フミにインタビュー。FUMIKODA誕生の背景やブランドに込めた想いを、深く掘り下げてくださいました。
当日の対談の模様を、レポート形式でお届けします。
Q:FUMIKODAを立ち上げようと思った背景を教えてください。
A:2003年からウェブ関連の会社を経営していたのですが、仕事で使える理想的なバッグが見つからなかったんです。
パソコンが入って軽くて、上品で、打ち合わせから会食まで持っていけるようなバッグ。機能も美しさも妥協したくないのに、市場には“重い”“雨の日には持てない”ようなものばかりで…。
「だったら自分でつくろう」と思ったのが、FUMIKODAのはじまりです。2016年にブランドを立ち上げました。
Q:もともとデザインの道を志していたのでしょうか?
A:はい、もともと美術系の学校に進学したかったのですが、親に反対されて理系の高専(応用化学科)に進みました。でも「ものをつくる」ことへの想いは消えなくて。
あるとき、サイトウマコトさんのグラフィックデザインの作品を見て、「私もこの世界で生きたい」と強く感じたんです。
Q:アメリカに渡ったのは、どのような決断だったのですか?
A:理系の勉強しかしてこなかったので、日本で美大に進むには10年近くかかると感じたんです。それならアメリカに行ってしまおう、と。
最初は語学留学の名目でロサンゼルスに行ったのですが、なかなか刺激が得られず…。
そんなある日、宿泊先のモーテルの窓から見えた壁画が気になって近づいたところ、それが美大「Parsons School of Design」の卒業制作展だったんです。作品のエネルギーに圧倒され、「ここに入学しよう」と決意しました。そこから1年かけて準備し、Parsons School of Designニューヨーク校に入学しました。
Q:NYでのキャリアは順風満帆でしたか?
卒業後は実は大変苦労しました。就職活動では何社も落ちて、ポートフォリオを見せては結果の通知を待ち続ける日々。やっと入れたのが、ファッションマーケティング会社でした。1998年、まだ紙が主流だった時代に、写真をスキャンしてWebに載せる新しいスタイルを扱っていて、私はそこでフェラガモなどのWebデザインに携わりました。当時、アジア人は私だけ。プレッシャーも大きかったです。
Q:ニューヨークでは、どんなキャリアを積まれたのでしょうか?
A:卒業後の就職活動は苦戦続きでした。でも粘り強く面接を重ね、ようやく入社できたのがニューヨークに本社を構えるファッションマーケティング会社です。
1998年当時、まだWebが一般的ではなかった頃にヨーロッパのハイブランドの初代Webサイトデザインを担当しました。
アジア人は私一人でプレッシャーも大きかったですが、実務の中で多くを学ぶことができました。
Q:日本に戻られてから、すぐに起業されたと聞きました。
A:18歳からアメリカにいたので、実は日本のことをよく知らなかったんです。だから一度戻ってみようと。
帰国後すぐに結婚・離婚を経験し、シングルマザーとしての働き方を模索する中で、「会社に属さず、自分で環境をつくるしかない」と思い、2003年に起業しました。
当時は深夜まで働くのが当たり前の時代で、自分と子どもの生活を守るための選択でもありました。
Q:FUMIKODAの初期には、どんなスタートがあったのでしょうか?
A:まずは紙を切ったり折ったりして、自分の理想のバッグの形をつくるところから始めました。
当初は動物の革を使うつもりでしたが、調べていく中で、革製品に関わる途上国の公害や児童労働、また、ハラコが牛の胎児の皮だという事実を知って、衝撃を受けたんです。
「誰かの犠牲の上に成り立つものづくりはしたくない」と考え、日本製の高耐久人工皮革にたどり着きました。それをバッグ用に最適化した素材が今FUMIKODAが使っている「FUMITEX®」です。

Q:初代バッグ「ARIANNA」の開発では、どんな苦労がありましたか?
A:何人もの職人さんにプロトタイプ制作をお願いしましたが、私の要望が細かすぎて「もう無理」と断られることもありました。それでも妥協せず、約2年かけて完成させたのが「ARIANNA」です。
「軽さ」「機能性」「エレガントさ」の3つのバランスにとことんこだわりました。今でも初回ロットを大切に使ってくださっているお客様がいるのは、本当に嬉しいことです。
Q:FUMIKODAはすべて日本製にこだわっていますが、どうしてですか?
A:ニューヨークに住んでいた頃、日本製品の品質の高さに何度も感動しました。だからこそ、日本に戻ってから感じた「ものづくりの衰退」にはショックを受けました。
FUMIKODAは、日本の職人と協力し、すべて国内で製造しています。特に「FUMITEX®」は日本の技術だからこそ実現できる高品質な素材で、合成皮革とはまったく異なるものです。
Q:今後のFUMIKODAに対するビジョンを教えてください。
A:これからも機能性が高く、素材や製造背景にも納得し、持っていて気持ちよさを感じていただけるバッグを作っていきたいです。
ご愛用いただいている方に「FUMIKODAのバッグを持っていると、自信を持って大切な仕事に臨める」と言っていただけることが本当に嬉しくて。それこそが私たちの届けたい価値だと感じています。
また、FUMIKODAを通して、各分野で活躍する女性たちが出会い、共鳴し、社会をより良くするアクションが生まれる。そんな“つながり”のプラットフォームにもなっていけたらと思っています。
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FUMIKODAのバッグは、機能性や美しさだけでなく、使う人の信念や生き方に寄り添う“相棒”でありたいと願ってつくられています。
幸田フミの経験と想いをもとに、誰かの犠牲の上に成り立たないものづくりを追求し、働く女性たちに自信と誇りを届けてきました。
これからもFUMIKODAは、持つ人の背中をそっと押し、前向きな一歩を支える存在であり続けます。
