美しく幸せな生き方とは?株式会社ポーラ代表取締役社長 及川美紀氏✕幸田フミ FUMIKODA SALONレポート

株式会社ポーラの社長として活躍されていらっしゃる及川美紀さんは、大学卒業後、新卒でポーラに入社。営業職として10年以上現場で実績を積まれた後、商品企画部長となり、2020年、社長に就任されました。
気遣いも細やかに、常に明るい雰囲気を持つ及川さんに、「美しく幸せな生き方とは?」をテーマに、社長になるまでの道のりやマネジメントについて赤裸々にお話をうかがいます。

聞き手はFUMIKODAのクリエイティブディレクター幸田フミです。

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 “ご縁”をいただけるバッグ

幸田フミ(以下、幸田) 及川さんとは、ポーラの社長になられる以前から親しくさせていただいています。出会いはとあるカンファレンスに参加した際、隣に居合わせたことでしたね。

及川美紀(以下、及川) 1000名ほど参加していた大きな会場で、ふと隣を見ると、とても素敵な女性がいました。「うわ、かっこいい、モデルさんかな?」と思ったほどです。しかも、素敵なバッグを持っていらっしゃった。それで、「そのバッグ素敵ですね」とお声がけしたのです。

幸田 私がFUMIKODAを立ち上げてまだ1年も経っていないときです。バッグに注目していただけたのが本当にうれしかったですね。

及川 その後すぐ店舗にうかがいました。FUMIKODAバッグは色違いでいくつも持っています。「FUMIKODAのバッグを持っている人は信用できる」と言っていただけることも多く、私にとっては良いご縁をいただく“縁結びバッグ”だなと思っています。

幸田 ありがとうございます。
そんな及川さんですが、今社長を務めていらっしゃるポーラは、実は新卒で入社し、そのままずっと同じ会社でキャリアを積まれてきたのですよね。どうしてポーラに入社されたのでしょうか。

及川 新卒で入社して以来、ずっとポーラで働いてきた生え抜きです。
私は宮城県石巻市という、三陸の田舎町出身です。家が裕福ではなかったので、親にかなり無理を言って、奨学金をもらいながら東京の大学に進学しました。さらに、「就職したら仕送りをします」と豪語して実家を出てきていました。
ポーラに就職したのは1991年。男女雇用機会均等法が制定されて5年が経過していたものの、まだまだ女性と男性とで働き方が違うのが当たり前という時代でした。

女性の結婚・出産退職は当たり前、25歳を過ぎると結婚する方が多い会社がほとんどでした。
でも、結婚して退職してしまえば、自分で働いて稼ぐことができなくなります。自分が借りた奨学金や、親への仕送りを、夫のお金で行うのも違うと思い、もし結婚したとしても、奨学金を返し終わるまでは正社員で働き続けられる会社への就職を希望しました。
結婚・出産しても退職せず働き続けている女性が多く、部長などの役職に就いている女性もいる会社を就職先として探したところ、ポーラに出会ったのです。
子どもがいる女性も多く働いていて、女性の部長も何人かいることを知り「ここだ!」と思いました。

幸田 学生時代から、企業を見るポイントがものすごく現実的だったのですね。

及川 「お金が必要だ」と思ったのは、大学受験のときです。予備校に通いたいけれど、お金がない。受験のための願書の提出にはお金が必要で、東京まで行くとなれば新幹線代、宿泊費用もかかります。さらに、入学が決まったら入学金の支払いがあるのです。

幸田 受験をするだけでも、かなりの費用がかかったのですね。

及川 はい。それで、今でいう「クラウドファンディング」に挑戦したのです。
田舎というのは不思議なもので、同じ市内に親戚が大勢います。ウチは母が5人兄弟、父は4人兄弟で、遠い親戚まで入れれば、5、60人ほどの親類縁者が近くに住んでいました。それで、遠い親戚も含め、受験をする年の1月にお年玉をもらいに行きました。
「大学を受けたいです」と言うと、「頑張れよ」と皆お年玉を奮発してくれました。
今で言えば“クラウドファンディング”ですよね。そうしてお年玉をかき集め、受験ができたのです。

幸田 大学も「東京の大学に入学するならば、女子大でないとダメだ」と言われたそうですね。

及川 戦前生まれの父の言葉です。でもそれは特別なことではなく「女が学をつけたら嫁に行けなくなる」という考えが、当時は普通でした。

幸田 そういう背景があって、「一生働く」ということが及川さんにとっては絶対条件だったのですね。

リーダーシップの目覚め

幸田 入社してから “社長”という立場になられるまでにいくつかの節目があったと思います。最初にリーダーシップについてお考えになられるきっかけはどのようなことだったのでしょうか。

及川 リーダーシップに目覚めたのは、結婚して販売会社に出向したことがきっかけでした。
私は、同じ部署で同じチームの1つ上の先輩と入社2年目に結婚しました。当時、同じチームの人同士が結婚した場合、男性が別の部署に異動になるという暗黙のルールがありました。ところが私たちの場合、異動の内示が出たのは夫ではなく私でした。

「彼に今いなくなられては困るから、あなたに異動してほしい」と、部長にはっきりと言われたのです。「夫に負けた」と思いました。しかも違う部署への異動ではなく、販売会社への出向を言い渡されたのです。本社のどこからも「いらない」と思われたと感じ、ショックを受けました。
でもそんなとき、出向先の販売会社の社長から「及川さんが来てくれるんだよね。及川さんでよかったよ」という電話をもらったのです。
その言葉に「期待されているんだ」と感じ、期待に応えようという気持ちで出向しました。

出向先にいたのは、私より年齢が上の人ばかり。私も入社2年目で経験が浅いにもかかわらず、「本社から来た」というだけで、初日から勝手にリーダーにされてしまったのです。
でも、やらなければならないとなると人はやるものです。社長の期待に応えたい、そして「本社から来た人は使えない」と言われないように、がむしゃらに働きました。不思議なことに、毎日「リーダー」と呼ばれながら頑張っていると、なんとなくリーダーっぽくなっていったのです。 

幸田 ステージに立てば、人はそのステージにふさわしいように振る舞うということですね。

やさぐれ販売会社時代

幸田 販売会社でリーダーとなり、課長への「昇格試験」を受けることになったのですよね。

及川 35歳のときです。異動になって10年以上が経ち、「本社は私のことを忘れているのでは?」と密かに思っていたときでした。子どもも産んで、必死になって育てている最中です。本社には顧みられていないけれど、健気にがんばって働いているーー。「給料くらい上げてもらわないと割に合わない」そう思い、昇格試験を受けることにしたのです。

この時の私にあったのは、リーダーシップでも何でもなく、「私に気づいてほしい」、「評価してほしい」、「見つけてほしい」という自己顕示欲でした。
そんな“よこしま”な気持ちで昇格試験を受けても、受かるわけがありません。試験で提出する論文には、「私のこういうところを評価してほしい」、「本社はこういうところがいけない」と承認欲求丸出しの自分礼賛と本社批判ばかりを書いていました。
当時、落ちた人にだけ試験の結果をフィードバックしてくれていたのですが、その時の点数は5点満点中1.5点。私が役員になってから、昇格試験で1.5点を取る人は一人もいませんから、その論文がどれだけひどかったのか想像がつくというものです。


でも当時の私は、「こんなに頑張っている私を落とすなんて、本社は見る目がない」と、自分を振り返ることはありませんでした。周りには「及川さんを落とすなんて見る目がないよね」と気を使って聞こえがいいことを言ってくれる人がいて、その言葉にいい気になった。落ちた責任をすべて周りのせいにして、ネガティブ思考に陥りました。その結果、本当にわかりやすくグレたのです。

幸田 「グレた」のですか?!

及川 そうです。仕事はきちんとやりましたが、ことあるごとに上司に攻撃的な態度を取りました。

たとえば、営業に出ているときに上司から電話がかかってきて「4時からの会議には間に合うかな?」と聞かれると、「渋滞に聞いてください。遅れているのは私のせいではないです」と、感じ悪く受け答えをする。目標設定のときも、「及川さんは目標を達成しているから、
目標値を上げてもいいかな」と言われれば、「何で私だけ上げるのですか。○○さんたちももっとがんばってもらわないとだめですよね?」と言う。

私がいた事業所は小さな事業所でしたから、10年以上勤務している私は古株です。私の存在が、その事業所の空気を支配するようになっていました。そんな私が、会議のときにも上司に攻撃的なことを言い、頬杖をついて機嫌が悪そうに話を聞くなど、まさにグレた態度を取る……。

幸田 そんな態度を取っていたのですか?想像がつきません。

及川 本当にそうでした。でも、ある時、月に1回の会議でしか会わない、私が一番尊敬しているポーラのショップオーナーに喫茶店に呼び出されて、コーヒーを前に「私はあなたのことが見ていられない。このままドブに落ちていくつもり?これ以上私たちのことをがっかりさせないでちょうだい」と言われたのです。
「私たち」と言っていましたから、恐らく組織リーダーを代表して言いに来てくれたのだと思います。
その後「言いたいことはそれだけ。自分の胸に手をあてて考えてみなさい」と言って、帰って行きました。

残された私はショックで席から立てずに、そのままコーヒーを飲んでしばらく考えました。「全部バレてた」と、猛省したのです。
その後、上司のところに行き、言われたことを報告しました。そして「私の態度って、そんなに悪かったですか?」と聞くと、上司はにっこりと笑って「気づいた?」と言ったのです。「みんなあなたに気をつかっているんだよ」と言われ、またショックを受けました。
自分はなんて子どもっぽいことをしていたのかとそこでようやく気づいたのです。

幸田 ショップオーナーが、見かねて言いに来てくれたことで、自分を振り返ることができたのですね。

及川 その時上司に「課長になって何がしたいの?」と聞かれました。すぐには言葉が出ませんでしたが、なんとか絞り出したのが、「この組織を一流にしたいんです」という言葉でした。

そこから、「どうすればこの組織を一流にできるだろうか」と考え始めたのです。

「一流の組織をつくりたい」と考え、それに向けて邁進するようになると、読む本が変わりました。人材育成、チームビルディング、マネジメント、心理学といった本を読み、自分だったらどうするだろうかと考えることで、知識に裏打ちされた経験が積み上げられていきました。

論文の内容も変わりました。「うちの組織にはこんな可能性がある」、「ここをこうすれば変わるはずだ」と、未来を見据えた内容に変化したのです。
2度目に受けた昇格試験は、トントン拍子に役員面接にまで到達し、役員に「きみのやりたいことはよくわかったよ」と言われました。

一流の組織にするために

幸田 前回挑戦した課長昇格試験とは、論文の内容がまったく違っていたのですね。

及川 そうです。ただ、想定外のことが起きました。
役員面接で「きみは埼玉の事業所のリーダーをやりたいんだよね」と言われたのです。
「いえいえ、違います。そんな大層な役職は望んでいません」と思いましたが、自分の言ったことに責任を持つならば、そこで「いいえ」とは言えません。

幸田 課長を飛び越えて埼玉地区のエリアマネージャーになられたのですね。

及川 エリアマネージャーは、当時部長職です。私としては、「そんなつもりじゃなかったのに」と思いました。何しろ、課長になることで給料を少し上げてもらうことができればそれでよかったのですから。
「しまった、計算が狂った」と思ったのですが、自分で「一流の組織にする」と論文に書いたのですから、もう、やるしかない。

幸田 そこでまた一段上のステージに上がられたんですね。

及川 とはいえ、「一流の組織にする!」といっても、そんなに簡単にはできません。役員から呼び出され「会社はあなたに、埼玉という良い地盤と優秀な現場を預けているんだから、それを自覚しなさい」と言われました。
埼玉は世帯年収も高く、地盤としては良い。ただ、私がエリアマネージャーを申し渡されたときは、32カ所ある地方の事業所のうち、31番目くらいの業績でした。
かなり苦戦していたのです。でも、やるしかない。そう腹を決めてさまざまな問題やコンフリクトを解消していくうちに、トップクラスの成績になっていったのです。

幸田 一流の組織へと変化させることができたのですね。

及川 はい。でも、業績が良くなると、今度は本社の商品に文句をつけるようになるのです。「この商品はよくない。現場のことを考えてつくってほしいよね」と大きな声で言っていました。その声を聞いていた人がいたのでしょう。私は商品企画部長に抜擢されてしまうのです。

幸田 本社の商品企画部といえば、会社の中枢です。大抜擢ですね。

及川 でも、埼玉エリアで実績が上がり始めるようになってきたところでした。65歳の定年まで、そこで楽しくやっていくものだと思っていましたから、私にしてみれば青天の霹靂です。
「大好きなショップオーナーたちと、大好きなスタッフや先輩たちと一緒に楽しくやっていこうと思っていたのに、本社の商品企画部に行かなければならないのか」と思いました。

幸田 会社は及川さんに、「そこまで言うなら実際にやってみせろ」と任せたわけですね。

及川 私としてはただ天狗になって文句を言っていただけでした。それが、「もの申している」ように聞こえたのだと思います。

そうして商品企画部長になったものの、「こんなはずじゃなかった」、「私の心は現場にあるのに、離されてしまった」と、最初の1カ月ほどは、ピーピー泣いていました。しかも、研究員の話は専門用語も多く、何について話しているのかすらわからないこともありました。それで私はまたやさぐれるのです。
「わたしが行ってもしょうがないよね」と会議をボイコットしていました。

幸田 そうしてグレている最中に、商品のリコールが起きたのですよね。

及川 商品のリコールは、会社の一大事です。通常の商品企画部長であれば、「大変申し訳ない」と顔を青ざめるところなのですが、私の場合は、自分がつくった商品ではないからと、気に病むことはありませんでした。同時に、直前まで現場にいましたから、商品の回収スキームは誰より上手くつくれました。現場のショップオーナーたちが、何に怒り、どうしたら許してくれるのか、お客様にどのように話をして謝るのかが、手に取るようにわかっていたからです。

さらに、いつもなら「どう責任を取るんだ」と目くじらを立てて商品企画部を攻め立てる事業所の人たちは、私が「助けてください」と電話をかけると「おれらのおいちゃん(及川さん)が困っている!」「任せとけ!」と動いてくれました。スムーズに回収スキームをつくり、実行すると、研究所や工場からすごく感謝されたのです。

それまでやさぐれていて、「現場に帰りたい」、「半年で返してください」とめそめそしていたのですが、この出来事によって「自分にもこういう役立ち方があるんだな」と気づき、「ここに私の存在価値がある」と前向きに考えるようになるのです。

幸田 それまで培ってきた現場での知識や経験がうまく活かされたのですね。

及川 はい。さらに、商品企画部であれば、現場の声に沿った商品づくりができる、私は現場の声を届けよう、と、急に張り切り出したのです。

たとえば、お客様や販売スタッフの声を今まで以上に聞き、市場のニーズを探った短期開発商品などにも挑戦しました。「肌に塗るときらきらと光り肌をきれいに見せてくれる日焼け止めなどは、私と一緒に販売部門から異動したスタッフが実現したヒット商品でした。」言うと、「そんなことはできません」となるのですが、研究員たちが知恵を絞り、完成まで漕ぎ着けたこともあります。

当社の商品の中にB.A.というロングセラーブランドがあるのですが、そのリニューアル時にも「みんなが売りたくなる、みんなが買いたくなる商品にしなければ」と使命感に燃え、がんばるようになったのです。

エレガンスを実践するには

幸田 私が好きな言葉に「エレガンス」という言葉があります。私が考える「エレガンス」とは、周りの人にいかに気を遣えるか、その場の雰囲気を良くできるかということも含まれます。及川さんはまさに私が思う「エレガンス」を体現されていらっしゃると思います。

及川 ありがとうございます。私は雑多な家庭で育ちましたし、ど根性、雑草魂というほうがしっくりくるんじゃないかなと思っているのですが、そう言っていただけると嬉しいですね。

「気遣い」ということについては、おそらく、販売会社時代に培ってきた“スタッフ根性”が染みついているのだと思います。
私はもともと気が利く方ではありません。でも、24歳の時から何年も販売会社にいると、さまざまな“下働き”をする機会が多く、「相手の気持ちを察して動く」ことについて、細かく指導いただきました。
たとえば会議などで誰かがお弁当を配っていたら、「あなたが先に配らないとだめよ」と言われますし、研修会などで飲み物のグラスが空いている人がいれば「すぐに新しいものをお持ちしないといけない」と言われます。
人と話をする際の言葉遣い一つとっても、先輩たちに口をすっぱくして言われ続けてきたのです。

今もし私がちゃんと気配りができているのであれば、そうして言われ続けてきた成果なのだと思います。


幸田 現場での経験によって培われてきた力なのですね。

及川 ショップオーナーたちは、ときに母のようにときにあたたかく、ときに厳しく接してくださいます。そういう人が200人ほどいて、私は200人の母にさまざまなことを鍛えていただいたのです。
彼女たちは、一人の人間を育てようとしてくれていて、「それは人としてどうなの?」と未だに合格点をもらえないこともいっぱいあります。でも、若いときから厳しく教えていただけたのは、「得をしたな」と思っています。

「ありがとう」の連鎖をつくる

幸田 今日、及川さんのお話をうかがって、芯のある、美しい生き方をして来られたのだなと感じました。そんな及川さんが、今、日々を生きていくうえで気をつけている点についてお教えいただけますか。

及川 「さまざまなご縁に感謝する」ということです。「“ありがとう”という言葉を、どれだけ言えるか」を常に考え、その気持ちを大事にしています。

幸田 感謝の気持ちを常に持ち続けること、そしてそれを表現することをモットーとしているということですね。

及川 「ありがとう」と言う言葉を、今日は何回言ったでしょうか。特に日本人は、「ありがとう」という場面で「すみません」と言っていることが多いと感じます。
この「すみません」を「ありがとう」に言い換えるだけで、より気持ちよく日々を過ごすことができると思うのです。

たとえば、約束の時間になっても来なかった人から、「遅刻してしまってすみません」と言われるよりも、「お時間お待ちいただいてありがとうございます」と言われた方が、なんとなく気持ちがいいと思いませんか?

幸田 確かに、「すみません」より「ありがとう」と言われたいですね。

及川 他にも、タクシーの乗降時に「ありがとうございます」と言うと、乗せてくれたタクシーの運転手さんは、その後の仕事を気分良くできるのではないかと思います。そうなれば、私の次にそのタクシーに乗った人も、「なんだかこの運転手さん感じがいいな」となる。
そんなふうに、幸せな気持ちが連鎖する。「ありがとう」という言葉にはそんな力があると思います。

幸田 本当にそうですね。「ありがとう」をみんなが言うようになれば、それが連鎖して皆が笑顔になる。そんな世の中になっていきますね。

今日は及川さんの生い立ちから部長昇格まで、リアルなお話をいただきました。
本当にありがとうございました。

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この後、及川さんと一緒にいらっしゃっていた企画開発部でB.A.を担当してきた田代さんが、6世代になるB.A.の機能について説明。さらに及川さんと一緒に、食事を楽しみながら歓談。熱気あふれる時間を過ごしました。

FUMIKODAでは、「すべての人の働くシーンにウェルビーイングを届ける」というミッションを掲げてビジネスパーソンのための情報発信やイベントの開催にも力を入れています。
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及川美紀(おいかわ みき)氏

株式会社ポーラ 代表取締役社長
宮城県石巻市出身。東京女子大学卒。1991年同社入社。
子育てをしながら30代で埼玉エリアマネージャーに。2009年商品企画部長。
12年に執行役員、14年に取締役就任。商品企画、マーケティング、営業などバリューチェーンをすべて経験し、20年1月より現職。(トータルビューティー事業本部長兼務)誰もが自分の可能性をひらくことができる社会をミッションに、パーパス経営・ダイバーシティ経営を牽引している。

受賞歴
2022年 11月 Forbes Japan Woman Awardにて個人部門イニシアティブ賞受賞

書籍

2023年9月19日 発行
「幸せなチームが結果を出す ウェルビーイング・マネジメント7か条」(発行:日経BP) 

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