伝統と革新の色彩。「高岡銅器」伝統工芸士 折井宏司氏|第4回 FUMIBLUE SALONレポート

第4回FUMIBLUE SALONは、富山県高岡市より伝統工芸士の折井宏司さん(有限会社モメンタムファクトリー・Orii 代表)をゲストにお迎えし、FUMIBLUE副理事長の原田和佳子さんによるインタビュー形式で開催されました。

400年の歴史を持つ高岡銅器の伝統を受け継ぎながら、これまでにない「色」の可能性を切り拓いてきた折井さん。そのものづくりの哲学から、意外なプライベートの素顔まで、熱く語っていただいた濃密な時間の模様をお届けします。

高岡のものづくり:「分業」という強み

まず話題に上がったのは、高岡銅器の最大の特徴である生産体制についてです。

高岡の銅器製造は、一つの製品が出来上がるまでに多くの専門職人が関わる「分業制」をとっています。原型の制作から、鋳造、研磨、そして折井さんが手掛ける着色、さらに彫金など、それぞれの工程に特化したスペシャリストが存在します。

折井さんはこの仕組みを、京都の西陣織になぞらえて説明されました。「西陣と同じように、高岡も工程ごとに専門の職人がいて、問屋さんがプロデューサー(指揮者)のように全体を統括して一つの作品を作り上げます。これが高岡の強みなんです」

一人の職人が全てを行うのではなく、各分野のプロフェッショナルがバトンを繋ぐことで、極めて高いクオリティの製品が生み出されます。しかし一方で、この分業制には「待ち」の姿勢になりやすいという側面もありました。折井さんの挑戦は、その分業の流れの中で、着色職人が自ら発信者となることから始まりました。

FUMIKODAが創業以来作り続けている高岡銅器の「ARIANNA」

東京からの帰郷、そして「モメンタムファクトリー」へ

現在でこそ「Orii Blue」として世界的に知られる折井さんですが、そのキャリアは意外な形でのスタートでした。

20代前半は東京のIT企業に勤務していた折井さん。26歳で家業を継ぐために高岡へ戻った当時、伝統産業は厳しい状況にありました。「とにかく仕事がない、あっても単価が安い。このままでは先がない」という危機感の中、折井さんは伝統的な着色技法を応用し、厚さ1mmにも満たない銅板や建築建材への着色という新しい技術を開発します。

そして2008年、「モメンタムファクトリー・Orii」を設立。社名には「弾み、勢い(Momentum)」をつけて前進するという強い意志が込められています。

インタビューの中で特に印象的だったのは、現在の工房の活気についてです。 「今の工房の平均年齢は30代くらいです。以前は地元の人間がほとんどでしたが、今は北海道から沖縄まで、全国から『ここで働きたい』と若者が集まってきてくれます」

かつては「頑固な年配の職人の世界」というイメージが強かった現場が、今ではクリエイティブな若者たちが切磋琢磨する場へと変貌を遂げています。伝統技術に魅力を感じ、自らの感性を表現したいと願う若いエネルギーが、モメンタムファクトリーを支えています。

職人のプライベート:遊びも本気で

お話は、折井さんのプライベートな一面へ。ストイックな職人の顔とは裏腹に、その私生活はとても遊び心に満ちています。

「遊びも全力ですよ」と笑う折井さん。ご友人たちと昼からお酒を酌み交わしたり、朝早くから池でカヌーを漕いだりと、高岡の豊かな自然と時間を贅沢に楽しまれているそうです。

また、料理好きという意外な一面も。「将来の夢の一つは、ガレージを改装して、仲間がふらっと立ち寄れる食堂をやること」と楽しそうに語ってくださいました。ちなみに、人生の最後に食べたい料理を伺うと、即答で「肉の煮込み!」。気取らないそのお人柄に、会場全体が温かい笑いに包まれました。

こうした「余白」や遊び心があるからこそ、既成概念にとらわれない新しいアイデアや、人の心を動かす美しい色が生まれるのかもしれません。

次世代へつなぐバトン

会の終盤では、2024年4月の日米首脳会談において、FUMIKODAのアクセサリー(バングル、ピアス、ネックレス)が、岸田元首相からジル・バイデン元大統領夫人への贈呈品として選ばれたことが話題となりました。

このアクセサリーには、まさに折井さんが手掛けた高岡銅器の着色技術が使われています。 「バイデン元大統領夫人に贈られたことで、問い合わせも増えました。何より、高岡銅器という名前と技術が世界に認知されるきっかけになったことが嬉しい」と折井さん。

ジル・バイデン元大統領夫人への贈呈品として選ばれた高岡銅器のFUMIKODAアクセサリー

伝統工芸士としての誇りと同時に、折井さんが強く願っているのは「事業継承」です。 「若い人たちにもっとこの仕事の魅力を知ってもらい、しっかりと稼げる産業にして、次世代にバトンを渡していきたい」

ただ守るだけでなく、時代に合わせて変化し、稼げる構造を作る。それが伝統を未来へ残す唯一の方法であるという折井さんの言葉は、FUMIKODAが目指すものづくりとも深く共鳴し、参加者の皆様の胸にも強く響いたようでした。

富山県からお越しいただいた折井さん、そしてこの日サロンにご参加いただいたFUMIBLUEの皆さま、ありがとうございました!