クリエイティブディレクター幸田フミの原点「ニューヨークとインターネット」:FUMITALK

こんにちは、幸田フミです。

今日11月21日は「インターネット記念日」でした。
1969年の今日、インターネットの元型と言われるARPAネットの公開実験がアメリカで実施され、カルフォルニア大学ロサンゼルス校とサンタバーバラ校、ユタ大学、そしてスタンフォード研究所の4か所がネットワークによって初めて接続されました。

その実験から二十年以上が経ち、当時通っていたニューヨークのパーソンズ大学からネットスケープというブラウザでインターネットに接続しました。すると思いもよらずアダルトサイトにたどり着いてしまい、あらわな写真の数々に衝撃を受けたのが私の初めてのインターネット体験です。

そんな私のキャリアはインターネットの普及とともに築かれました


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Q. ニューヨークではどんな会社で働いていたのですか?


1996年にパーソンズ大学を卒業したあと、現地のファッションマーケティング会社にグラフィックデザイナーとして就職しました。
ニューヨークで年に2回開催されるファッションショーのコレクション写真をいち早く入手してオンラインで紹介したり、ファッションブランドのホームページをデザインしたりするのが私の仕事です。

今ではめずらしくもなんともない事業ですが、まだ一般家庭にネット回線が普及しておらず、その先インターネットがどう発展するのかわからなかった時代だったので、当時としてはベンチャー精神あふれる企業だったと思います。

オフィスは、その頃日本企業がオーナーだったエンパイアステートビルの55階にありました。
旧型PowerMacの大きなディスプレイから窓の外に目をやると、ビルに巣くうハヤブサに鋭い目で睨まれることもしばしば。窓越しにワールドトレードセンタービルの細長い2本のシルエットが霞んで見えていたのも懐かしいです。



Q. インターネットの仕事をしはじめたきっかけは?


90年代半ばのアメリカはすでにインターネット黎明期を過ぎ、「紙ではない新しいメディア」が次々と立ち上がります。しかしヨーロッパのハイブランドは依然として情報の公開にコンサバティブで、インターネットに対して否定的な姿勢をとってました。

そんな老舗ブランドもようやく重い腰を上げてインターネットの可能性に目を向けはじめた頃、当時はめずらしい存在だった「ウェブサイトを制作できるグラフィックデザイナー」として新人の私も大手ファッションブランドの初代ウェブサイト制作に携わらせてもらいました。

それまでプログラマーの手によって構築されていた文字ばかりの画面から、デザイナーの介入によってインターネットにエンタメ要素が加わり始め、一般の人がネットサーフィンを楽しむようになった時代です。まだ「ウェブデザイナー」という職種さえありませんでしたが、ブランディングを視野に入れたホームページの需要の高まりとともにフリーランスとしての仕事も増え、やがて独立することになりました。



Q. どうしてファッション業界に転身したのですか?


正確に言うと転身はしておらず、ファッション業界とインターネット業界の両方に身を置かせていただいている状況です。

FUMIKODAのクリエイティブディレクター業務と並行して、2003年に立ち上げたブープランは今でもウェブマーケティングのコンサルティング業務を行っており、ARIANNAGINAにノートパソコンと書類を詰め込んで取引先を訪問しています。

お客様から「幸田さんはもう要らないよ」と言われてしまわない限り、インターネットのお仕事を続けていくつもりです。そして自らの経験を活かしつつ、働く女性が快適に仕事をするためのバッグやアクセサリー小物などのツールを開発していきたいと思っています。

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バッグのデザイナーとしては一風変わった経歴だと思います。
FUMIKODAのバッグからテクノロジーの香りがほのかに漂うのは、インターネットの進化とともに歩んできた私のバックグラウンドが影響しているせいかもしれません。

これからも異色の経歴をもつデザイナーとして、FUMIKODAブランド共々どうぞよろしくお願いいたします。


FUMIKODA クリエイティブディレクター
幸田フミ