日本の伝統工芸「高岡銅器」〜次世代に継承するための新たな挑戦:モメンタムファクトリー・Orii 代表取締役 折井宏司氏 ✕ 幸田フミ FUMIKODA SALONレポート
神秘的なターコイズブルーが特徴の「高岡銅器」。富山県高岡市の伝統工芸士である折井宏司氏によって生み出された素材を、FUMIKODAは創業以来バッグのパーツやアクセサリーに使用しています。
折井氏は、大根、糠、米酢、日本酒などの天然素材を使って銅を色付けする伝統技法を応用し、ごく薄い金属にも着色できる技法を編み出しました。色彩や模様は、一つとして同じものはできないため、一つ一つの製品が世界で唯一の作品です。ただここに至るまでは、一筋縄ではいかない数多くのご苦労もされてきました。
キャリアのスタートは、意外にも東京のIT関係のお仕事だったという折井さん。そこから高岡に戻られ、常識にとらわれないチャレンジを重ねながら、高岡銅器の技術を次世代へと継承していくお話をFUMIKODAサロンで伺いました。聞き手はFUMIKODAクリエイティブディレクター幸田フミです。
高岡銅器の着色所三代目として、
東京での仕事を経て故郷へ
幸田フミ(以下、幸田):コロナ禍でなかなかリアルな会ができなかったFUMIKODAサロンですが、ようやく開催することができました。
今回は、FUMIKODAの創業以来「伝統工芸をバッグに使いたい」という想いを汲み取っていただき、ずっと素敵な作品を提供しつづけてくれている、有限会社モメンタムファクトリーOrii代表取締役の折井宏司さんにお越しいただきました。
折井 宏司(以下、折井):富山県高岡市から参りました。高岡市は「銅器の街・鋳物の街」なんです。銅像や仏像、花瓶、お茶道具などの最終工程である、着色の仕事をする工場の三代目になります。
例えば、桜新町駅のサザエさんの銅像や、亀有駅のこち亀の銅像などは高岡で製作されています。高度経済成長期は壺や置物などを製造することで大いに潤ったのですが、その後バブルが弾けて2、3年後にはどんどん仕事が減っていきました。
そんな中で、私は「伝統工芸を新しいものにしていきたい」と考えていたので、インテリア用品などへ転化させ、現在の銅板を使った製品などを作り始めました。
小さい頃は当たり前のように高岡で就職すると思い込んでいましたが、たまたま東京への就職が決まり、IT関係の会社に入りました。当時はバブル崩壊後でも業界は景気が良く、仕事も充実して楽しいものでしたが、27歳の時に高岡に戻ることになります。コンピューター業界の日進月歩のスピードに不安を感じたことも事実ですが、大きかったのは工場の「三代目」というプレッシャーでした。悩みに悩んだ末に、叔父のアドバイスもあって「帰るなら30代前に」と決意して、今に至りました。
幸田 伝統工芸のお仕事も、外からのアウトプットから新しいアイデアを得られなければ、同じものを作っていかざるをえないのではないかと思います。27歳までの東京でのご経験が、今のプロダクトやブランドの方向性にお役に立っているのではないかと感じます。
日本人ならどこかで見かけたことがある「高岡銅器」が産業として衰退していってしまったのは、やはり私達が日常的に使うものへの転換が難しかったということでしょうか?
折井 私たちの親世代は、花嫁道具としてお茶道具を嗜んでいたり、経済成長期には床の間に壺や置物を置いたりしていた豊かな時代がありました。ただ生活様式が変わっていくにしたがって、引き出物が置物からガラス器に変わるなど変化していますので、当然伝統工芸も変わる必要があると感じます。
インテリアや建築関連など新分野へと
積極進出
幸田 確かに変わり続けていくことは必然ですね。そんな中、折井さんの周りに事業を続けていらっしゃる方はどれぐらいいらっしゃるのでしょうか。
折井 実は統計がありまして、バブルが弾けた直後の平成4年までは伝統工芸は伸びていたのですが、そこから私が戻った頃には最盛期の2/3くらいに落ちていました。
そこから今25年たってどうなっているかというと、ピーク時から比べると売上は1/4、従事者も1/3以下くらいになっている状況です。
幸田 このまま衰退してなくなってしまうと、この高岡銅器が二度と作れなくなってしまうという危機感も感じます。そんな中で折井さんは、新しいものを次々生み出されていますが、今展開されている事業内容の割合はどのようなものでしょうか。
折井 従来の美術工芸品の銅器への着色の仕事は10%くらいです。おかげさまで新分野は伸びており、インテリアや建築関係で60%、プロダクト関係は30%くらいを占めています。
例えば建築関係では、都内のイタリア家具ブランドのショップ内装を手掛けたり、リゾートホテルのレストランの内装や、部屋のアメニティなどに高岡銅器を使っていただいたりしています。
写真:モメンタムファクトリーOrii公式サイトより
思い切って単独出展した合同展での転機
幸田 確かに、ホテルなど外国からのお客様には、メイドインジャパンの素材でおもてなししたいと思いますよね。コロナ前からしっかり準備をし続けられていたのはさすがです。
私は折井さんと出会うまで「高岡銅器」のことを殆ど知らなくて、お会いしてお話を伺ってから初めてその魅力を知りました。高岡銅器はもともと400年前からある技術で、仏像の塗装などに使われていて、そこから日用品へと広がったそうですね。
着色の技術には大根のしぼりかすや糠(ぬか)などが使われ、この深い色合いには日本独自の技術が脈々と受け継がれていることに驚きました。
現在、バッグやアクセサリーに使わせていただいていますが、「このFUMIKODAのターコイズブルーが好き」と高岡銅器に魅力を感じてくださっている方も多いです。
高岡銅器のアクセサリーバーを使用したミニトートバッグ「GINA baby」
前首相夫人の安倍昭恵さんも、この色に魅力を感じていただいた方の一人です。外遊の際、訪問先のファーストレディーがヴィーガンというケースは少なくないので、FUMIKODAの素材がヴィーガンレザーを使っていることや、すべてメイドインジャパンの素材を使って日本の職人が仕立てたという点も、セレブリティの皆さまに支持されている要因かと思います。
折井さんが事業を続け、売上を伸ばしていくためには多くの努力も必要だったと思いますが、一番最初はどんなことをなさったのでしょうか。
私が初めてお会いした時にはすでにオンラインショップをスタートされていましたが、それに至る前までにはどんな道筋をたどってこられましたか?
折井 とにかく「伝統工芸をかっこよくしたい」というのが私の強い想いでした。とはいえマーケットリサーチなどは一度もしたことなくて。高岡銅器の新しい技法を編み出して新たなジャンルに進出すれば、絶対に売れると確信していました。
はじめに富山のセレクトショップに並べてみましたが、やはり東京で勝負しなくては、と実感しました。2005年には高岡銅器の組合で、インテリア用品に特化したカテゴリーで「ギフトショー」に出店しました。
ただ組合で出ると小さな区画しかもらえず、インテリアといっても新旧が混じっている統一感のないブースになってしまう。なので思い切って単独で出展したところ、すべての商品を気に入ってくださったあるセレクトショップと出会います。それを契機として、徐々に全国から発注が入るようになりました。
プロダクトでは、銅板をベースにした、テーブル、コースター、時計の文字盤などを製造しました。今までにない新しい世界の中で、高岡銅器がどう勝負できるか、日々トライしています。
写真:モメンタムファクトリーOrii公式サイトより
県外からの就職希望者が続出。
若い世代が楽しく働ける環境づくり
幸田 モメンタムファクトリーOriiは、メディアにも注目されていますよね。
折井 伝統工芸から新しいことをしている好事例として、経産省から紹介いただいたことも大きかったですね。一つがメディアに取り上げられることで、次のオファーがきたりしました。
またメディア戦略がリクルート効果にも繋がっています。最近新卒は、県外からの応募がほとんどです。インターンで来てくれた方が、そのまま入社してくれるケースが多いですよ。
幸田 私が工房にお邪魔した時に感激したのが、若い方が多かったことです。まるでITのベンチャー企業のような雰囲気で、和気あいあいとしていました。
折井 現在の高岡銅器の業界では、平均年齢が63歳くらいでですが、弊社ではいまは35歳くらいと、30歳くらい若返りました。以前は県外から就職希望者が来るなんて、とても考えられないことでした。スタッフには自分の好きな色で、お揃いのTシャツを着てもらったりして、若い世代にとって働きやすい職場づくりを意識しています。
幸田 リクルート効果があったというのは大きいですね。また、最近はアパレルにも進出されたと伺いました。
折井 私が最後にやりたかったのは実はファッションなんです。銅板を写真に撮って生地にプリントをする、「オリイファブリックス」というテキスタイルを開発しました。スーツの裏地からはじまり、ワンピースを作ったりしています。都内の合同展「ルームス」に出展もしましたが、やはりコロナもあって受注は難しかった。
そこから一念発起して、2021年に富山県の氷見市の縫製工場とタイアップで、オリイファブリックスの浴衣を作りました。その秋に、大阪の大手百貨店さんからポップアップの紹介を受け、キーパーソンにも恵まれて、全80点ものアパレルの製品も作りました。
幸田 オリイファブリックスの美しい色とも相まって、素晴らしいですね。
ワンピースを通して高岡銅器のことも知っていただくことも増えそうです。
折井 伝統工芸の工場のオヤジ(笑)がファッションまで手掛けるというのは、一般的にはちょっと考えられませんけれど。高岡銅器の技術を狭い世界だけでなく、もっと広いジャンルの製品に転化できれば、多くの方に魅力を感じていただけると思っています。
FUMIKODAブランドとの協業も新しい試みですし、「こんなことも出来るんだ」ということを、今を生きる次の世代にも継承したいと思っています。
幸田 ぜひこれからもご一緒できれば嬉しいです。今日は素敵なお話をありがとうございました。
☆☆☆
高岡銅器とファブリック。一見両者は関係ないように思われますが、銅板を写真に撮って転写し、ファッションへと転化させるという折井さんのアイデアには驚かされます。高岡銅器を世界へと羽ばたかせたいという、強い信念を抱かれているのだと感じました。
FUMIKODAでは、今後も伝統工芸とのコラボレーションを重ねながら、日本のものづくりを引き続き支援して参りたいと思います。
折井 宏司(おりいこうじ)
有限会社モメンタムファクトリー・Orii 代表取締役
1970年 富山県高岡市生まれ
高岡銅器の伝統的着色技法を応用し、銅板・真鍮板へ新たな発色を確立。
建材・クラフト作品など様々な分野に提案を広げている。
2008 有限会社モメンタムファクトリー・Orii稼働
2009 経済産業大臣指定伝統的工芸品 伝統工芸士認定
2015 The Wonder 500 認定
第6回ものづくり日本大賞 優秀賞
2017 グッドデザイン賞 受賞