幸田フミが考える「デザイン」と「アート」の違い。:FUMITALK


こんにちは、幸田フミです。

毎年春になると、国内外のアートギャラリーが一堂に会し、ギャラリーいち押しのコンテンポラリーアートが競演する「アートフェア東京」が開催されます。

スニーカーを履いて国際フォーラムの広い会場の中をぐるぐる歩き回ること、まる2時間。160ものギャラリーの力強い作品たちがギラギラと発するエネルギーを存分に浴び、iPhoneの歩数計が10,000歩に達する頃、スカートの後ろのファスナーを全開にしたまま歩いていたことに気が付きました…!

春うらら、相変わらずうっかりが絶えない今日このごろです。

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Q. 「デザイン」と「アート」は何が違うと思いますか?

「デザイン」と「アート」は対極に位置するのでは。と思っています。

「デザイン」は使い手のことを考えてものを設計すること。受け手がいて、初めて成り立つのがデザインです。
私がプロデュースするFUMIKODAのバッグも、働く女性の立場や使い勝手を考えて快適に使ってもらえるように「デザイン」したものです。建築物やマグカップ、車や雑誌広告などもそうですね。

対して「アート」は、その時代の社会的メッセージを作家のフィルターを通してアウトプットした産物です。受け手が受け止められるかどうかは関係なく、一方的に世の中に訴えかけているものなので、物理的に何かの役に立つものではありません。
(もちろんアート市場というものがあるのですが、ここではモノとしての両者の比較に留めます。)

今のところ私は「デザイン」をする人ですが、「アート」は人間にとって必要不可欠なものだと思っています。


Q. アート作品って役に立たないし、作っても無駄じゃないですか?

「アートはゴミだ」と言われ、ショックを受けたことがあります。

価値観は人それぞれなので致し方ないのですが、なぜ私にとってアートがゴミではなく大切な存在なのかを考えるきっかけになりました。

今の環境の中で、なんとなく周りと同じ考え方でいれば、ある程度楽に、穏やかに生きていけますよね。
しかし自分の常識の範疇でずっと生活していると、考え方が大きく異るものに対して拒否反応を示したり、相手に自分の正当性をつい主張したりしてしまうようになりがちです。

その拒否反応と正当性の主張が増幅して起こるのが、戦争です。
アートは争いごとを回避して、平和を実現するために役立つものだと思っています。


Q. 「アートが戦争を回避するために役立つ」とは、具体的にどういうことでしょうか

価値観の違う人間同士のいざこざを避けるには、「異物」である相手を否定したり攻撃したりする前に自分に「待った」をかけ、相手の声に耳を傾けたり、考えを受け止めようとしたりする習慣を身につける必要があります

けど、そんな習慣を身につけるのはなかなか難しいという方もいらっしゃるかもしれません。
そんな方には、自分の想像の枠から大きくはみ出した価値観と触れ合うことができるアート鑑賞をおすすめします。

社会への乱逆、美醜の極地ーー
現代アートはそういった主張を剥き出しにして迫ってきますが、じっくり向き合ってみても理解し難いものばかりです。というか、共感できることはほとんどないので、「ああ、自分にはその引き出しはないんだな」と納得するしかありません。

アート作品を眺め、作家の主張を感じ取ろうとする行為は、目の前の相手の理解しがたいメッセージを聞き入れ、異なる考え方を受け止める力を高めることに繋がります。

そして人々がアートを鑑賞する機会が増えていけば、やがては世界平和に繋がるのではないか。と想像している私にとって、「アートはゴミ」ではなく、「アートは愛」なのです。

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アートフェアの帰り道、ちょうど東京駅で311の黙祷の時間にさしかかりました。

道行く人たちと足を止め、目を閉じて7年前の出来事を思い返していると、平和な日常の有り難さを感じずにいられませんでした。

そんなわけで、今回こそは最近よくお問い合わせいただくFUMIKODAの隠れた人気商品、長財布「TINA(ティナ)」についてお答えするつもりだったのですが、「アート+平和」をテーマに、またもやFUMIKODAとは直接関係のない話題となってしまいました。

桜の蕾が開き始める頃にお届けする次回のFUMITALKでは、FUMIKODAの活動についてもご報告させてください。

FUMIKODA クリエイティブディレクター
幸田フミ